「辞めるなんて、一言も聞いていなかった」
「昨日まで普通に仕事していたのに」
医療・介護・歯科の現場で、突然の退職に戸惑う場面は決して珍しくありません。むしろ、退職の連絡が初めての“本音”だった、というケースもあるほどです。
しかし、実際には本当に“突然”だったのでしょうか。 退職の背景には、日常の中で積もっていった不満や違和感があります。それが表に出ないまま限界を迎え、「もういいかな」と静かに気持ちを整理し、誰にも言わず辞めていく――。それが、多くの離職の実態です。
では、なぜ相談されなかったのでしょうか? 「スタッフが悪い」「もっと早く言ってくれればよかったのに」と感じるかもしれません。ですが、それ以前に考えるべきなのは、「そもそも相談しやすい職場だったのか」という視点です。現場には、「忙しそうで話しかけられない」「言ってもどうせ変わらない」「前に相談した人が否定されていた」といった“壁”が存在していることがあります。
本記事では、医療・介護・歯科業界の現場でよくある「辞める前に相談されない」職場の特徴について掘り下げていきます。信頼される職場とは何か、そして相談される関係性をどう築いていくか。その視点を順を追って見ていきましょう。
「相談がない」のは、“相談できない空気”があるから

現場の空気が、声を塞ぐ
スタッフから退職の相談がなかったとき、多くの管理者は「なぜ言ってくれなかったのか」と感じます。
しかし、その問いは少し角度を変える必要があります。問題は「相談されなかった」ことではなく、相談できない空気が職場にあったという点です。
医療・介護・歯科の現場では、業務の多忙さから、スタッフ一人ひとりの気持ちに目を向けづらい状況が常にあります。
とくにベテラン層や管理者にありがちなのが、「弱音=甘え」という認識です。
このような雰囲気が、スタッフに黙って耐えるのが当然という思いを植え付けていきます。
「話すリスク」の方が大きいと感じる職場
スタッフが本音を言えなくなる背景には、小さな“話しづらさ”の積み重ねがあります。
・忙しそうな上司に話しかけづらい
・相談した同僚が逆に責められていた
・意見を出しても「みんなそうだよ」で終わった
・不満を言えば「雰囲気を壊す存在」になりかねない
こうした体験を経ると、スタッフは相談するよりも黙っていたほうが安全だと感じます。
そして、「話す」ことより「離れる」ことを選ぶのです。
「言わなかった」のではなく「言えなかった」

一部の管理者は、「様子を見ていれば異変には気づける」と考えがちです。しかし実際には、スタッフ自身が“何もないふり”をしていることもあります。
「心配をかけたくない」「どうせ言っても無駄」「波風を立てたくない」――
こうした思いが重なり、本音を押し殺して日常を続けるという選択がされているのです。つまり、変化がなかったのではなく、“見せなかった”。
相談の不在は、信頼関係の不在のサインとも言えます。
相談される職場に共通する「空気」
一方、スタッフが安心して相談できる職場には、共通する特徴があります。
・月1回の1on1で雑談も交える
・日報やチャットで感情を記録できる欄がある
・困ったときに、まず耳を傾けてもらえる安心感がある
・管理者自身も、迷いや不安を口にしている
これらの共通点にあるのは、「ここでなら話してもいいかも」と思える関係性です。
制度の有無ではなく、日々の関わりの中で育まれる信頼感が、「相談される・されない」の分かれ目になっています。
相談は“偶発”ではなく“習慣”にできる:自然に声が届く職場の仕組みとは?

「話せる人がいる」ではなく、「話す習慣がある」職場へ
「困ったときに話せる人がいる」ことは安心材料になりますが、それだけでは離職は防げません。
本当に大切なのは、困る前から日常的にやりとりがある状態=“相談が習慣化されている職場”であることです。一時的な制度や関係性ではなく、日々のリズムの中で自然に気持ちを交わせる仕掛けがあるかどうか。
ここが、偶発的な面談や単発のケアとの分かれ道になります。
“場の設定”を、相談のハードルを下げる仕掛けにする
相談が文化になる職場には、「気づいたら話していた」という状態をつくるための小さな“習慣の器”が複数あります。
具体例として、以下のような取り組みが挙げられます。
〇 月1回の1on1ではなく、“週5分”の定点声かけ
〇 チャットツールに「困ってるかも」だけ押せるスタンプ欄
〇 朝礼後に2人1組で「最近ちょっとだけ気になること」を話す時間を設定
これらの特徴は、どれも「特別な話題」でなくても話せる入口を用意している点にあります。
重要なのは、「辞めたい」などの大きな話が出ることではなく、日常の小さな“ん?”が拾われることです。
「聞きに行く人」がいると、相談は定着する

スタッフ側が動き出すのを待っているだけでは、相談はいつまでも単発です。
“話しかけられるのを待つ”のではなく、“話しかけに行く人”を役割として明示しておくことがポイントです。
☑ 管理者やリーダーが「週1回全員に話しかける」
☑ 「チーム内サポーター制度」として、対話の入り口を持つ人を配置する
☑ 「ちょっと相談チャンネル(社内相談窓口)」に運用担当者が常駐する
こうした仕組みは、相談を個人のスキルや関係性ではなく、職場全体のしくみにしていく第一歩です。
“相談が続く”ために必要なのは、成功体験の積み重ね
一度話したスタッフが、「話してよかった」と思えなければ、相談は続きません。
そのために大事なのは、“話した後にどう返ってきたか”の記憶がポジティブであることです。
・きちんと話を聞いてもらえた
・内容が否定されなかった
・話したことがチームの中で少しだけ反映された
・翌週に「この前の件どうなった?」と気にかけてもらえた
これらの経験は、スタッフにとっての「また話そうと思えるきっかけ」になります。
逆に、「一度話したけど意味がなかった」と思えば、次の相談は生まれません。
“相談文化”は、更新され続けるもの
相談が職場に定着したように見えても、それは一度きりの導入で完結するものではありません。
1on1も、日報も、関係性も、職場のフェーズやメンバーの変化に応じて見直され、更新され続けてこそ機能を保ちます。
とくに医療・介護・歯科の現場では、職種・役割・人間関係が流動的です。
「今のうちの空気で、ちゃんと声が届いているか?」を定期的に問い直すことが、相談を文化として維持する最大の鍵です。
“突然辞めた”が多いなら、対話より先に「信頼関係の整備」が必要

会話はあっても、信頼がなければ意味がない
「コミュニケーションは取れていたのに」
「笑顔で仕事していたのに」
それでも突然辞めてしまう。そんなケースに直面したとき、最も多い誤解は「もっと話す機会をつくればよかった」というものです。
もちろん会話は重要です。けれども、それだけでは本音や悩みを引き出す力にはなりません。
なぜなら、“会話”と“信頼”は別物だからです。
● 表面的に雑談ができていても、安心して本音を話せるとは限らない
● 会議で意見が出ていても、それが評価に影響すると思えば抑え込まれる
● 毎日顔を合わせていても、「この人には本当のことを言えない」と感じることはある
つまり、「話しているか」ではなく「信頼できているか」が離職防止の本質です。
信頼は、“安心して弱さを見せられる状態”のこと
信頼関係というと、「長く一緒にいること」「仲が良いこと」だと捉えられがちです。しかし、現場で本当に必要なのは、「この人には安心して“弱さ”を見せられる」という感覚です。
たとえば、以下のような対応があると、スタッフは「ここでなら弱音を吐いてもいいかも」と感じるようになります。
・落ち込んでいる様子を見て、気にかけてくれる
・遅刻やミスに対して、まず事情を聞いてくれる
・「それは大変だったね」と、感情から受け止めてくれる
反対に、「ミス=指導」「不満=面倒くさい」と扱われる職場では、スタッフは“無難なふるまい”だけを選び、本音を封じていくようになります。
信頼は、特別な技術ではなく、日常の関わりの中で「ここなら受け止めてもらえる」という安心感があるかどうかで決まります。
信頼は「話しかけられたとき」ではなく、「普段のふるまい」で決まる
信頼を築くには、特別な場面ではなく「何でもない普段のふるまい」の蓄積が決定的です。
とくに以下のような動きは、スタッフの“感じ方”に直結します。
● 声をかけたとき、ちゃんと顔を向けて話を聞く
● 失敗や不調にすぐアドバイスせず、一度相手の気持ちに共感する
● 何か問題が起きたとき、誰かを責めるよりも「なぜそうなったか」を冷静に整理する
これらはすべて、「この人には話してもいい」と思わせる振る舞いです。
つまり、信頼とは“特定の言葉”ではなく、“言葉の出方を決める空気”そのものなのです。
「しんどさを出せる場所」がないと、人は静かに辞めていく

医療・介護・歯科の現場では、ケアする側が「感情を出せない」空気になりやすい傾向があります。“プロ意識”や“責任感”が強く働きすぎると、しんどさや葛藤を出せないこと自体が「正しい」と思い込んでしまうのです。
その結果、以下のようなことが起こります。
✓ 疲れているのに「大丈夫」と言い続けて無理をする
✓ 愚痴や不満を抱えながらも、「みんな頑張っているし」と我慢する
✓ 少しずつ気力がすり減り、ある日「もう限界です」と辞めていく
これは、本人の弱さではなく、「弱さを出してもいい場所がなかった」職場の問題です。
だからこそ、まず整えるべきは「気持ちを出せる環境」=信頼関係です。
信頼関係づくりの具体例:何から始めるか?
信頼は時間がかかるものですが、「信頼のきっかけ」は意図的に仕込むことができます。
以下は、明日からできる実践例です。
☑ 朝の5分で「昨日うれしかったこと」「最近モヤッとしたこと」を交互に話す
☑ 管理者が毎週1回、自分の弱みや迷いを言葉にする時間をつくる
☑ チームで「最近、誰かにありがとうって言った?」を振り返る
☑ スタッフの表情やトーンに変化があったら、その日のうちに声をかける
こうした小さな接点は、「あ、自分のことをちゃんと見てくれている」という実感を生み、信頼の土台になります。
対話は「信頼の上」に乗るもの
スタッフが突然辞める職場に共通するのは、「対話の数」はあっても“信頼の深さ”が築けていなかったことです。だからこそ、改善のスタートラインは「対話」ではなく、「安心して話せる土台」があるかどうか。
話すきっかけではなく、“話してもいいと思える空気”をどう育てるか。
それが、次の離職を防ぐために本当に必要な視点です。
明日からできる5つのアクション

アクション①:『最近どう?』と“気持ち”を聞く問いを1日1回使う
管理者がスタッフに『最近どう?』と気軽に声をかけるだけで、職場の空気は変わります。業務連絡や指示が優先されがちな中、たった一言の問いかけが、相談しやすい関係性を築くきっかけとなります。
ポイントは、特別感を出さず、日常の一環として続けることです。例えば、朝礼後や休憩中に「最近忙しそうだけど、大丈夫?」とさりげなく声をかけると、スタッフも身構えずに話しやすくなります。
声をかけても反応が薄い場合は焦らず、続けることで信頼が育ちます。話しやすい職場づくりの第一歩として、毎日のちょっとした声かけを習慣化しましょう。
アクション②:週に1回、雑談目的の5分間の1on1を設ける
雑談を目的とした5分間の1on1は、業務以外の話題でスタッフとの距離を縮める絶好の機会です。あえて仕事の話を避け、趣味や日常の出来事について触れることで、スタッフもリラックスしやすくなります。
ポイントは、気軽に参加できる雰囲気を作ることです。オンラインでの実施や、飲み物を片手にラフな対話を促す工夫も有効です。管理者自身がプライベートな話題を先に出すと、スタッフも自然に話しやすくなります。
アクション③:感情に反応する習慣をつける
スタッフの感情に対してすぐに反応する習慣を持つと、日常の会話が豊かになります。例えば「少し疲れて見えるけど、大丈夫?」や「今日は元気そうだね」といった一言が、スタッフにとって支えになります。
ポイントは、感情の変化に気づいたときにすぐ声をかけることです。特別な対応ではなく、日々の観察から自然に発する言葉で十分です。小さな声かけが信頼を深め、相談しやすい環境を作ります。
アクション④:管理者自身が“弱さ”をシェアする時間を持つ
上司が自分の弱さや迷いをあえてシェアすることで、スタッフも自分の気持ちを話しやすくなります。「実は最近ちょっと迷っていて…」といった言葉が、スタッフとの心理的な距離を縮めます。
ポイントは、無理に作らず自然に伝えることです。日常の雑談やミーティングの合間に少し触れるだけでも効果があります。上司が弱さを出す姿勢が、チーム全体に安心感をもたらします。
アクション⑤:「今、相談しづらいことある?」という問いをチームに共有する
「今、相談しづらいことある?」という問いかけをチーム全体で共有し、相談しやすい空気づくりを進めましょう。問いを共有することで、「悩みを話してもいいんだ」という意識が自然に生まれます。
ポイントは、問いかけ自体を習慣化することです。定例ミーティングや朝礼など、定期的に投げかけるとスタッフが気軽に口を開きやすくなります。相談を“特別な行為”ではなく、“日常の一部”として扱うことで、職場全体のコミュニケーションが活性化します。
職場における相談文化の定着は、一朝一夕で実現できるものではありません。ポイントは「日常の小さな声かけ」を積み重ね、スタッフが「ここでなら話せる」と感じられる空気を作ることです。上司が率先して動き、日々のコミュニケーションを少しずつ見直すことで、相談しやすい職場環境が形成されていきます。
今回提案した5つのアクションは、その第一歩です。小さな取り組みを続けることで、やがて信頼が育ち、スタッフが安心して気持ちを話せる職場へと変わっていくでしょう。

