医療・歯科の現場で理念が浸透しない理由と取るべきアクション

理念に関して話し合う医療従事者

「うちの理念って、本当に現場まで届いているのだろうか」「カルチャーを大切にしているつもりでも、スタッフの行動には表れていない気がする」。こうした戸惑いは、医療機関や歯科医院の管理者や経営層の間でよく聞かれます。理念やビジョンを掲げ、カルチャーブックを作成し、評価制度や朝礼に取り入れるといった工夫をしていても、日々の業務の中ではそれが判断やふるまいの基準として活かされていない

──そんな実感を持つ方も多いのではないでしょうか。

こうした乖離が生まれる背景には、「掲げた言葉」と「現場で実際に共有されている価値観」の間にあるズレが存在しています。制度や仕組みとして理念を定義することは重要です。しかし、それが現場でのふるまいや意思決定に自然と反映されていなければ、理念は単なるスローガンにとどまってしまいます。重要なのは、理念がどのように日々の会話や判断の中で活用されているか、その『実際の使われ方』を捉える視点です。

本記事では、「制度を整えても理念が浸透しないのはなぜか」「職場で共有される価値観はどのように把握できるか」「理念をスタッフの行動と結びつけるにはどうすればいいか」という3つの問いを軸に、医療・歯科の現場に即したかたちで理念浸透の本質を掘り下げていきます。形式や道具だけに頼らず、本当に伝えたい価値観が現場の実践に根づくための具体的な視点を、順を追って見ていきましょう。

目次

理念を仕組みに落としても、現場は変わらない理由

「伝えたはずなのに、動かない」の正体

理念やビジョンを現場に浸透させようとする際、多くの医療機関や歯科クリニックが取り組むのが、「制度による可視化」です。評価制度への組み込み、カルチャーブックの配布、朝礼での共有、定例ミーティングでの振り返り・・・いずれも「理念を繰り返し伝える工夫」としては確かに有効な手段です。

しかし、現場のスタッフに「その理念を意識して動いているか」と聞いたとき、言葉に詰まってしまう組織も少なくありません。「一応読んだことはある」「朝礼で読み上げているけれど、特に意識したことはない・・・このような反応が返ってくる場合、その理念はまだ実際のふるまいや判断の中に取り込まれていない可能性が高いといえます。

なぜ「伝えている」はずの理念が、使われないのか?

その背景には、理念が『伝えるもの』として一方向的に扱われており、現場の文脈で“どう意味を持つか”という視点が欠けていることがあります。理念はポスターに掲げるだけでは機能しません。実際の現場で、スタッフが「この場面ではこう考える」「この判断はうちらしい」と自然に参照できることが求められます。

たとえば、「思いやりを大切にする」という理念があったとして、それがどのような行動として表れるべきかが具体的でなければ、スタッフは解釈に迷います。「丁寧に接すること」なのか、「忙しい同僚に気づいて声をかけること」なのか。そのイメージが共有されていなければ、理念は抽象的な標語として扱われてしまうのです。

「制度だけ」では理念は根づかない

制度や仕組みは、理念を言葉として提示するための補助的な役割にはなり得ます。しかし、それが実際の行動や判断に接続されていなければ、表面的な活動で終わってしまいます。むしろ制度だけが先行すると、「言っていること」と「やっていること」の乖離が生じやすくなります。

たとえば、「助け合いを大切にする」と掲げているにもかかわらず、日々の業務で忙しさを理由にスタッフ同士の連携が薄い場合、現場では「掲げてはいるけれど実際はそうでもない」という認識が広がってしまいます。こうしたギャップが積み重なると、理念に対する不信感すら生まれかねません。

順番を間違えると、共感ではなく違和感が残る

本来であれば、制度を整える前に問うべきことがあります。それは、「うちの現場では、どんなふるまいや関係性が大事にされているか」という視点です。理念は、こうした日々のやり取りの中にある価値観を掘り起こし、言葉にするところから始めるべきです。そこを飛ばして、先に制度化を進めてしまうと、理念の「使いどころ」が見えないまま運用されてしまいます。

つまり、制度や評価軸は理念を支える“土台”であって、“本体”ではないということです。本体は、現場での行動や言葉の中に自然に根づいている「うちらしさ」です。これが明確になって初めて、制度は理念を補強する役割を果たします。

「理念を感じる場面」があるかどうか

スタッフが「そういえば、あの場面は“うちらしい”と思えた」と言える瞬間があるかどうか。それが、理念が組織内で生きているかどうかを見極めるひとつの指標になります。その場面を見つけ出し、言葉にし、共有する。この地道な繰り返しが、理念を現場に根づかせていく唯一の道です。

なんとなくの共通感覚では、文化として定着しない

感じ取っているだけでは、再現できない

ある職場で、新人スタッフが「この職場って、なんとなくこういう雰囲気だよね」と感じることがあります。あるいは古参スタッフが、「うちのやり方なら、こう判断するよね」と暗黙の了解を持って動いていることもあります。こうした共通感覚は、一定の経験を積んだスタッフの中では自然と共有されているかもしれません。

しかし、それが明確な言葉として組織内に存在しない場合、その「感覚の共有」は非常に不安定です。属人性が強く、世代交代や新しいメンバーの加入によって簡単に崩れてしまいます。とくに医療・歯科業界のようにチームでの連携が重視される環境では、「察することができるかどうか」に依存した文化は大きなリスクを孕んでいます。

属人化された判断基準の危うさ

たとえば、患者や利用者への説明対応において「この場面ではうちならこうする」という判断基準がベテランの頭の中にはあっても、それが新人に共有されていないと、対応にばらつきが出ます。これは医療安全や患者・利用者満足度にも関わる問題です。

「なんとなくそうしてきた」「周囲のやり方を見て覚えてきた」といった継承方法では、組織が大きくなるにつれて判断の軸がぶれていきます。判断基準が言語化されていない組織では、特定のスタッフが退職したタイミングで、文化そのものが失われてしまう可能性があります。

言葉にして初めて『文化』になる

だからこそ必要なのは、「感覚」を言葉として明確にすることです。

たとえば、

・「この対応って、うちらしくない気がする」というようなフィードバックがスタッフ間で交わされる
・新人指導の中で、「このときは、私たちはこう考えることが多いよ」といった具体的な価値観が伝えられる
・雑談や日常の会話に、「それって、うちの“ていねいさを大切にする”スタンスだね」といったフレーズが自然に出てくる

こうした言葉のやりとりは、感覚で共有されていた判断基準や価値観を明確にし、文化として定着させる手がかりになります。言語によって明確にされた価値観は、新人にも伝えやすく、また異なる立場のスタッフとの間でも共通の理解をつくることができます。

医療・歯科業界だからこそ、言語による共有が不可欠

特に医療や歯科の現場は、多職種連携・時間帯交代・急なイレギュラー対応といった場面が頻繁にあります。その中で、「共通の判断軸」が明文化されていないと、意思疎通のミスや価値観の食い違いが業務に影響を及ぼします。

一方で、組織として大切にしている考え方が日常の言葉で語られていると、経験年数や職種の違いを越えて、一貫した対応や判断が生まれやすくなります。

感覚を共通言語に変えるという発想

理念や価値観は、感覚として共有されるだけでは文化になりません。それらが実際の会話の中で使われ、判断やふるまいの土台として『言葉で持ち歩ける状態』になって初めて、文化として機能し始めます。

言い換えれば、「感じていること」を「語れること」に変換することが、カルチャーを組織に根づかせるための第一歩です。そして、その言葉がスタッフ同士でやりとりされることで、価値観の軸は自然と強化されていくのです。

理念は説明するだけでは伝わらない──行動に置き換えて伝える視点

理念を「説明したつもり」で終わっていないか

理念やバリューをスタッフに伝える場面は多くなってきました。朝礼、オリエンテーション、評価面談──さまざまなタイミングで、経営者や管理者が自社の想いを言葉にする機会が増えています。

しかし、「伝えた」「共有した」「理解してもらった」といった状態があっても、実際にスタッフの動きが変わらなければ、理念はまだ活きていないと考えるべきです。理念は単なる情報ではなく、現場での具体的な行動として実感されてはじめて意味を持ちます。

理念の言葉を、現場の言葉に置き換える

たとえば「誠実な対応を大切にする」といった理念があるとして、それを聞いたスタッフが「それってつまり、どうすればいいのか?」と感じたまま終わっていないでしょうか。

このとき必要なのは、理念を「日々の仕事の中でどう表れるか」というかたちに置き換える視点です。以下にいくつかの具体例を示します。

訪問看護の現場での置き換え例:

誠実とは:「利用者の生活リズムを崩さず、予定変更の際も必ず事前に説明を入れること」
自律とは:「誰かに言われなくても、利用者の不安に気づいたら自ら動くこと」
信頼とは:「報告や引き継ぎが丁寧で、安心して任せられる状態をつくること」

歯科クリニックの現場での置き換え例:

誠実とは:「不安そうな患者さんに、こちらから説明や確認の声をかけること」
自律とは:「診療後に気づいたゴミや乱れを、誰に言われなくても整える姿勢」
信頼とは:「名前を覚え、次の来院時にも安心感を持ってもらえる関わりを意識すること」

このように、理念をそのまま掲げるだけでなく、日常業務の具体場面に沿って「この理念は、こういう対応として表れる」という形で捉え直す必要があります。

大切なのは「体験の中で意味を持つこと」

ある訪問看護のスタッフが、こんな経験を語ってくれました。

全盲の利用者宅で、床に置いてあったテレビのリモコンを「落ちていた」と思って机に戻した。すると利用者様に「それは床の決まった位置に置いてるの。そのままにして」と言われ、自分の“良かれと思った行動”が、その方の生活のやり方を無視していたことに気づいた。

このような体験を通じて、「相手の自立を尊重するとはどういうことか」が、頭ではなく肌感覚で理解されます。理念の本質が、行動の中で見えてくるのです。

一方で、ただ理念を“知識”として学んでも、実際の場面でそれをどう活かすかがわからなければ、スタッフの中に定着しません。行動と結びついた実感が伴って初めて、「ああ、こういうことか」と腹落ちするのです。

経験と結びつけて、語れるようにする

理念を定着させるためには、「覚えること」ではなく「自分の経験と結びつけて話せるようになること」が大切です。

・「あのときの利用者対応で、自分はこう感じた」
・「あの場面は、うちらしさが出ていたと思う」
・「この対応は、うちが大切にしている“ていねいさ”に合っていたと思う」

こうした語りが現場で生まれることで、理念は「知っている言葉」から「動きの基準になる言葉」へと変わっていきます。

決まり文句ではなく、自分たちの言葉で

理念を浸透させるというと、「全員が同じ言葉を使えるようにする」と思われがちですが、重要なのはむしろ「それぞれのスタッフが、自分の体験に引き寄せて語れるようになること」です。

「これって、うちでいう“誠実”だよね」といったやりとりが自然に出てくる職場は、理念が机上の空論でなく、日常の仕事にしっかりと根づいている状態です。

理念を正しく理解させるより、『自分の言葉』に変える場づくりを

理念を「一字一句正確に覚えさせる」ことが目的ではない

理念やバリューを現場に浸透させたいとき、多くの組織が「理解してもらうこと」に力を入れます。理念説明会を実施したり、日々の会議やグループウェアで繰り返し周知したりするなど、「伝えること」に多くの時間をかけているケースは少なくありません。

しかし、本当に大切なのは、理念の文言を正確に暗記させることではありません。むしろ、スタッフ一人ひとりがその理念を「自分の言葉に置き換えられるかどうか」が、現場での活用の鍵になります。

たとえば「信頼を大切にする」という理念があったとして、それをスタッフが「自分の仕事でいうと、こういうふるまいのことだよね」と語れるようになっているかどうか。そこまで落とし込まれて初めて、理念は日々の行動の判断基準として機能し始めます。

理念に関する対話を通じて意味を理解する

このプロセスには「自分で考える機会」が不可欠です。一方的に説明を聞くだけでは、理念は「正解を覚えるもの」になってしまい、自分の実感と結びつかなくなります。

たとえばミーティングや1on1の中で、

・「最近の業務で、“うちらしさ”が出たと思う場面はあった?」
・「この対応は、私たちの理念に照らすとどう感じた?」

といった問いかけを重ねていくことで、理念を自分の行動に照らし合わせて考える習慣が少しずつ育まれていきます。ここでのポイントは、「問いに正解がないこと」です。理念に対する感じ方や意味づけは人それぞれでよく、むしろその違いをすり合わせていくプロセスが、チームに共通認識をつくる材料になります。

理念について「語ってみる」ことで理解が深まる

理念や価値観は、黙って考えるだけではなく、「語ってみること」によって深まります。たとえば、月1回のカンファレンスや振り返りの時間を使って、

・「“丁寧さ”って、どんなときに発揮されていたと思う?」
・「あの対応、私たちの大切にしている考え方に合っていた?」

といった投げかけをし、スタッフ自身が自分の言葉で理念を説明してみる。その場にはっきりした答えがなくても構いません。語りながら考える機会があることで、「これはうちらしい」「これはちょっと違ったかも」といった共通認識が少しずつ形づくられていきます。

「理念の使い方」を覚えていく場を

理念は、言葉として正しく記憶するものではなく、「現場でどう使うか」が重要です。そのために必要なのは、理念に触れる機会をつくることではなく、「理念について考え、話し、選択の判断材料にしていく機会」を日常に組み込むことです。

たとえば以下のような場面が、理念を『自分の言葉に変える』きっかけになります。

・新人指導の中で、「このとき、うちではどう考える?」と価値観を確認し合う
・朝礼での一言共有で、「昨日の〇〇さんの対応、うちらしいなと感じた」など価値観に紐づいたフィードバックを加える
・面談時に「次は、どの価値観を意識して取り組んでみたい?」と問いかける

こうした日常の中での「問い」や「語り」が重なっていくことで、理念は徐々に組織の言葉として根づいていきます。

理念は「持たせる」より「話し合える」状態を目指す

理念は「背負わせるもの」ではなく、「話し合えるもの」であることが重要です。一方的に与えるのではなく、スタッフ自身が「これはうちらしいと思えるか?」と日々の行動と照らして考える環境をつくること。それが、理念を単なる標語ではなく、判断の土台として活用できる組織への第一歩となります。

理念を日常に落とし込む5つのアクション

理念が現場に根づかない理由は、「理解が足りない」からではなく、「現場での扱われ方が曖昧だから」です。言葉としては存在していても、日々の判断や行動に接続されていなければ、理念は現実の仕事にとって意味を持ちません。逆にいえば、日常の中に少しずつ理念に触れる場があれば、スタッフはそれを自分の判断軸として育てていくことができます。

ここでは、医療機関や歯科クリニックの現場で実践しやすい「理念を日常に落とし込むための5つのアクション」を紹介します。

①「この行動、うちらしい?」を日常の会話に挿し込む

スタッフ間で自然に理念に触れる時間をつくるには、会話の中に問いかけの形で理念を持ち込むことが効果的です。

たとえば、

  • 「この対応、うちらしいって言えるかな?」
  • 「さっきのやり方、私たちの価値観に合ってた?」

といった問いを投げるだけでも、「自分たちはどうありたいか」を日々の行動と結びつけて考える習慣が生まれます。このとき大切なのは、「正解を求めない」ことです。理念に照らして考えるプロセス自体が意味を持ちます。

② エピソードを通じて、理念の意味を具体化する

理念は説明されるよりも、「実際にあった出来事」を通じて伝えた方が、理解されやすく記憶にも残ります。

たとえば、

・「昨日のAさんの対応、あれは“ていねいさ”がよく表れていたと思う」
・「新人のBさんが自分から〇〇した場面、まさに“自律”だよね」

といったエピソードを朝礼やグループウェアで共有するだけでも、理念が抽象語ではなく具体的なイメージとして定着していきます。

日々の小さな出来事に目を向け、価値観の表れを言葉にして残す工夫が、文化の継続性を生み出します。

③ スタッフと一緒に「意味づけのすり合わせ」をする

月1回の定例ミーティングやカンファレンスなどを活用して、理念について「実際の業務とどう関係しているか」を話し合う時間を設けてみましょう。

たとえば以下のような問いを活用できます:

・「信頼って、最近の仕事でどんなふうに出ていたと思う?」
・「うちらしさが伝わったなと思う場面、あった?」

スタッフが理念について語ることで、共通の認識が少しずつ形成され、価値観がみんなのものとして育っていきます。

④ 新人育成時に「意味と言葉の対応関係」を明示する

新人に理念を伝える際は、「暗黙の雰囲気を察してもらう」のではなく、「具体的な場面での言葉として渡す」視点が必要です。

たとえば、

・「この対応は、うちで言う“誠実”にあたるかな」
・「困ってる人がいたら声をかけるのが、“うちらの自然なスタンス”だよ」

といった具合に、理念と実際の行動がどうつながっているかを、わかりやすく言葉で示すことが重要です。理念が現場に浸透するかどうかは、育成時点での関わり方に大きく左右されます。

面談や1on1を「価値観でふり返る時間」に変える

スタッフとの面談や1on1は、ただの業務進捗確認だけでなく、理念とのつながりを考える機会としても活用できます。

たとえば、

・「最近、自分らしく動けたと思う場面はどこだった?」
・「今後どんな価値観を意識していきたい?」

といった問いを加えることで、理念が過去の反省材料ではなく、「これからを考える軸」になります。

このような振り返りを定期的に行うことで、スタッフは理念を「与えられたもの」ではなく、「自分の未来を考えるための視点」として捉え直せるようになります。

理念は、日常の会話と動きの中で育つ

理念の浸透とは、制度やマニュアルに落とし込むことではありません。日々のふるまい、判断、会話の中に理念の考え方が自然と織り込まれている状態が、真に「根づいた」と言える状態です。

今日から始められるのは、小さな問いかけ、小さな共有、小さなすり合わせです。それらが積み重なることで、理念は単なる言葉から、現場を支える「判断の言語」へと変化していきます。


監修者:権守 泰純(Yasuyoshi Gonmori)

株式会社HOAP代表取締役。2022年に創業し、医療・介護業界に特化した採用支援事業を展開。現在は訪問看護・訪問診療訪問歯科など在宅分野からクリニックなど、業界特化で採用支援事業を展開。


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